【綾町・国富町】バスにのってGO!GO!GO! 車では見えない町・畑・古墳の景色
WRITTEN BY omi
綾の宮原地区にある明見神社、公民館の向かいにある小さな神社ですが、ここにはやるせない創建の歴史、その後の奇跡、そして伝統的な踊りの奉納と3つの語るべき話があります。この3つを一つ一つ紹介していきましょう。

戦国時代、伊東尹祐の女性問題から始まった跡継ぎを巡る騒動が起きました。長い間男子に恵まれなかった尹祐に待望の男子が生まれました。喜んだ彼は、その子を家督を継ぐ嫡男としました。
しかしその5年後、ある女性に惚れて、側室に迎え入れます。やがて2人の間に男子が生まれました。すると尹祐はそれまでの嫡男を取り消して、その男子を新たに嫡男にとします。そんな義に背く行いに異を唱えた2人の家臣がいました。
忠義に厚い二人でしたが、策略にあって謀反人とされてしまいます。2人は綾城に籠城しましたが、結局は自害します。これが「綾の乱」です。

伊東尹祐は2人の霊を供養するために、その年の1510年に宮原にこの神社を創建しました。尹祐が自分の行いをどのように感じていたのか、そしてどのような思いで2人の忠臣のために明見神社を創建したのかは分かっていません。

明治25年、稀に見る大干ばつで多くの農作物は枯れる寸前の状態でした。当時の宮原地区の区長、上村善兵衛は、隣接する地域の区長と話し合いの上、雨乞いの祈願を行うことにしました。
そして8月26日、区民を神社に集めて、雨乞いの儀が執り行われました。すると空は突然曇り始め、大粒の雨が降り始めました。
しかし、その直後に雷が神社に落ちました。不幸にもこの落雷により、区長をはじめとする5名が亡くなりました。

その後、区民は5名の冥福を祈り、後世に伝えるためにその年の10月、境内に記念碑を立てました。
記念碑には、稀に見る干ばつの年に雨乞いを行い、その奇跡と悲劇についての物語が刻まれています。命を落とした5名の名前と共に、このことを永遠に忘れないように記念碑を建てたと記されています。

天狗や不思議な顔の面をかぶった人間が、輪になって楽しそうに踊る唐人踊り。これは江戸時代、琉球王国が薩摩藩に貢物を届ける際に、海賊から身を守るための踊りが宮原地区に伝承されたそうです。

滑稽な面を被って、海賊たちを喜ばせてその間に貢物を運んだのでしょうか。楽しそうではありますが、今の時代から見ると神秘的な感じもします。踊り手に頭を撫でられると、賢くなると言われています。ただ、怖いのか、泣いてしまう子も。いい思い出となるでしょう。

この唐人踊りは年に一回、明見神社の大祭にて奉納されます。
2025年の奉納:
11月16日(日) 11:00
子ども達も参加します。奉納に向けて、一生懸命頑張っています。

いかがでしたか。明見神社の3つの物語。創建にまつわる話、雨乞いの話、そして唐人踊りの話。とても小さい神社ですが、興味深い話が詰まっています。

お参りの後は、この神社に秘められた物語を思い起こしてみてください。そうすれば、明見神社の大きさを実感できるでしょう。
明見神社
住所:宮崎県東諸県郡綾町大字入野4138番 (マップ)
駐車場:有
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omi
古墳好きの道産子。札幌で生まれ育ち、新宿、ニューヨークなど喧騒の場所を転々とする。2017年12月、宮崎県綾町に移住。2024年から2年間、yahoo!地域クリエイターとして宮崎県綾町、国富町、西都市情報を執筆。2024年9月、古墳記事でYahoo!MVA賞受賞。
仕事の傍らバンド、タップダンス、パントマイムの舞台活動を行っていたが、現在は活動休止中。
詳しいプロフィールはnoteにて。