【横浜市】の歴史を語る上で欠かせない“美しい博物館”のようなクラシックホテル「ホテルニューグランド」
WRITTEN BY 佐原ねお
【プライスレス藤沢】
~藤沢の魅力を再発見~
藤沢市内で見つけたプライスレスな情報シリーズ。154カ所目は藤沢市宮前にある『宮前御霊神社(みやまえごりょうじんじゃ)』です。
今から約1,080年前の天慶3年(940年)。
村岡五郎良文(平良文)が、祟道天皇(早良親王)を祀った京都の上御霊(京都・御霊神社)から分霊を勧請し(神さまの力を分けてもらうこと)、平将門討伐の祈願を行ったのが始まりとされる『宮前御霊神社』。

その後、鎌倉時代には武将・鎌倉権五郎景政(鎌倉権五郎景政は、史料によって「景正」と表記されることもあります)が神として祀られ、さらに北条時頼の命により、葛原親王・高見王・高望王の三柱が加えられたと伝わります(崇道天皇、鎌倉権五郎景政、葛原親王、高見王、高望王の五柱が祭神)。

そして、神社内の記念碑には「十三の分社あり」と刻まれていますが、神奈川県神社庁の公式サイト(外部リンク)によると、現在では県内に16の分社があるとされ、藤沢市川名の「御霊神社」もそのひとつに数えられます。数の違いは、集計時期や扱いの違いによるものかもしれません。
正面の大鳥居をくぐると拝殿へと続く石段の階段があり、その途中には「手水舎」や「日露戦役記念碑」がありました。

さらに階段を進むと、拝殿があらわれます。

この境内には、拝殿のほかにも石灯籠や、絵馬掛けとして使われていた小さなお宮、寿老人の石像、山道へ続く小道の入り口に立つ赤い鳥居など、見どころが数多く点在しています。
なかでも特に注目したいものが2つあります。ひとつ目は「疱瘡神」の碑。

この碑には、以下のような内容が書かれています(碑文を要約)。
かつては、命を奪う恐ろしい病として人々に深く恐れられていた「疱瘡(天然痘)」。その苦しみを和らげてもらおうと、石塔を建てて疱瘡神に祈りを捧げる風習が広まりました。『御霊神社』の「疱瘡神」は、もともと鎌倉古道沿い・八幡山のふもとに祀られていたものを、鎌倉権五郎景正が境内に移したと伝えられています。昔は三月三日の祭りの日になると、紫の旗が立ち、露店が並び、参詣者で大いににぎわったそうです。なお、『弥勒寺』の堂脇にも「疱瘡神」が祀られています。
この辺りでも猛威を振るっていた天然痘を記録する貴重な石碑ですよね。
そして2つ目が、「折笹矢竹稲荷大明神」と「七面宮」です。

「折笹矢竹稲荷大明神」(別名「笹折矢竹稲荷大明神」)は、記念碑に次のような内容が残されています(碑文を要約)。
「後三年の役」で初陣を飾った16歳の鎌倉権五郎景正は、敵の放った矢により右目を射られました。しかしその矢を引き抜いて打ち返し、敵をみごとに討ち取りました。戦勝後、その矢を「御霊神社」の境内に刺すと青葉が芽吹き、矢竹が茂ったことから、そこを「折笹矢竹稲荷大明神」として奉っています。兜を納めた松は「兜松」と呼ばれています。

目に射られた矢を自ら引き抜き、その矢で敵を討つ――
この一文があまりに生々しく、想像するだけでゾッとし身の毛がよだつほど。当時の武士の戦いぶりが、どれほど過酷だったかをも伝える石碑ですよね。

また「七面宮」とは、一般的に日蓮宗の守護神であり法華経を守る女神「七面大明神」を祀る社。境内副社といったところでしょうか。 近くには案内板も建てられていました。

鎌倉市との市境近くに位置する『宮前御霊神社』。
藤沢市の中心部や北部とはまた異なる文化や歴史、地域ならではの逸話が息づく場所です。周辺を歩くと、崖をくり抜いて作られた「岩窟(がんくつ)」や「やぐら」も見ることができます。混雑も少ないため、年末年始にでも気軽に訪れてみてはいかがでしょう。近くにはコインパーキングもあります。
※11月上旬でもやぶ蚊が多く見られました。気になる方は、虫よけを用意すると安心です。
基本情報
『宮前御霊神社(みやまえごりょうじんじゃ)』
住所:藤沢市宮前560
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ころんころ
神奈川県を中心に活動するライター。
「読まずにいられない記事タイトル」を信条に、地域の魅力や出来事を伝える。
2021年~2026年まで Yahoo!ニュース エキスパート 地域クリエイターとして活動。
2024年には ベストエキスパート2024 を受賞。
このほか、昭文社「まっぷるトラベルガイド」をはじめ、複数媒体・紙面で執筆。現在は「湘南経済新聞」などで執筆する。
元証券会社人事部出身。
年金アドバイザー資格(最上位2級)を持ち、キャリアや生活に関するテーマにも強みを持つ。