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大阪府 -泉南郡

【泉南郡】創業65年街で唯一の「練り天ぷら工場」を守る3代目。一度食べたら忘れられない“幻の天ぷら”

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旅する日々の記憶と記録。matka08

大阪の最南端に位置する岬町は、人口1万3000人ほどの小さな街。
長年にわたり地域の観光資源として重要な役割を果たしていた「みさき公園」の閉園は、観光客の減少や地域経済の衰退を加速させる大きな要因となり、地域内の商店や飲食店などの消費活動の低迷、若年層の流出による地域社会の活力低下など、街にさまざまな課題をのこしました。
高齢化が進み、人影もまばらなこの土地で、街で唯一の「練り天ぷら工場」を継承し奮闘する3代目に出逢いました。
看護師のキャリアを捨て、2代目の父から「練り天ぷら工場」を受け継いだその想いとは。
4世代にわたり愛される“幻の天ぷら”の製造現場を取材しました。

「中塩路の天ぷら」

新鮮な魚介の香りが漂う淡輪漁港のすぐそばに「中塩路の天ぷら」の製造工場があります。
3代目 中塩路 伸子(なかしおじ のぶこ)さんの母方の叔父さまが、1957年に和歌山市中央卸売市場で創業した「丸中かまぼこ店」が、そのルーツです。
1980年頃には伸子さんのご両親が店を譲り受け、工場のみを岬町に移転。2005年に同市場から撤退したあとは、和歌山市の七曲市場や岬町周辺の業者に卸すなど、長年にわたり地域に根差した商売を続けてきました。

「中塩路の天ぷら」の商品は、ふわふわ食感と口の中に広がる優しい甘味が特徴の「小天(こてん)」と国産ごぼうのしゃきしゃき食感と豊かな風味が特徴の「ごぼ天」の2つ。
味の決め手は、卵白と保存料などの添加物を使用せず、天然の原料に近いタネを、一つ一つ手で整えて揚げていくこと。

丸中かまぼこ店時代には「平天」も製造していましたが、慣行の変化や大手メーカーの波に押され徐々にその需要は減少し、伸子さんは商品を「小天」と「ごぼ天」の2つに絞る決断をしました。

すべて「手」が教えてくれる

スケソウダラ(左)とイトヨリ(右)のすり身
スケソウダラ(左)とイトヨリ(右)のすり身

工場が稼働するのは午前4時。
キンキンに冷えたスケソウダラとイトヨリのすり身を冷凍庫から取り出し、素手でほぐすことからはじめます。これらの素材は、日本近海では近年漁獲量が減少傾向にあるため、信頼できる業者さんから輸入品を仕入れており、その品質はトップレベルの一級品です。
一般的に「魚肉」とだけ表示されている製品は、原料不明瞭なものが多い中、「中塩路の天ぷら」は素材を明確に表示し、消費者の安心に繋げています。

水産物には旬があるため、季節によってその状態もさまざま。手で潰すことによって、すり身の質がわかるのだと伸子さんは言います。
前回はもっちりしていたのに、今回はやわらかいなど、手が教えてくれたことに習ってその後の工程で水加減を調整し、商品を均一化していきます。

「中塩路の天ぷら」の心臓「擂潰機(らいかいき)」です。半世紀近く、この場所で「練り天ぷら工場」を支えています。
「これがダメになったらうちはおしまい」と、長年連れ添ってきた相棒を愛おしいまなざしで見つめる伸子さん。

先に、スケソウダラのすり身を投入し、攪拌していきます。イトヨリよりスケソウダラのすり身の方が硬いため、時間差を設けているのだそう。

こちらは、飛散防止用の「わっか」と呼ばれる道具です。本来、そのような製品名かはわからない、と3代にわたって呼ばれてきた道具の愛称にさえ、歴史の重みを感じます。

スケソウダラを混ぜること10分、次にイトヨリと塩、甜菜(てんさい)糖などの調味料を加えていきます。混ぜる時間はすり身の質や気候によって変わるため、その状態を伸子さんは自分の手で確かめます。

ある程度混ざってきたら、ここで氷の登場です。

製氷機はなく、ボウルで冷やし固めた氷を素手で扱う伸子さん。ここは、空調設備のない冷えきった工場。「なぜ、ゴム手袋をしないのですか?」と尋ねると、「練り天ぷらづくりは手の感覚で判断する場面が多く、 “タネを触っては洗い流す” のくり返し。ゴム手袋をしていたら取り外す動作が手間になるんです」と教えてくださいました。傷みやすい生ものを扱う現場では作業スピードが重要で、特に夏場は工場の室温が50度に達することもあり、時間のロスを最小限に抑えて迅速に仕上げていく必要性に迫られます。この氷もタネの腐敗防止のために使用するとのこと。

氷を投入した後も、ヘラでタネをそぎ落としながら、ひたすら混ぜる、混ぜる、混ぜる。
ふいに伸子さんが、「やってみますか?」と声をかけてくださいました。
パンを粉から作っていた経験のあるわたしは、生地の扱いには慣れています。
意気揚々とチャレンジしてみたところ、石臼にへばりつくタネが一度こそげただけではうまく取れません。

力を入れても石臼の表面にタネが残る
力を入れても石臼の表面にタネが残る

伸子さんがお手本を見せてくださいました。

え...
え…

「一つひとつの工程には、ちゃんと根拠があるんです」と、より正確に、より効率的に作業を進めるための知恵と技術が、65年の歴史を経て伸子さんに受け継がれています。

次に小麦澱粉(グルテンフリー)を冷水で溶かしたものを投入。粉と水の割合も、混ぜる手の感覚で決めていきます。「水が多すぎると分離して混ざらないんです。朝一は、めっちゃ冷たい!」と伸子さん。

すべて「手」が教えてくれるのですね。

混ぜること1時間。混ぜすぎるとタネがぐちゅぐちゅになり、商品にできなくなるそうです。
すり身の質と気候によって状態は変わるため、何度もタネに触れながらその感覚を確かめていきます。この作業は、伸子さんの精神状態も影響するそうで、まるで生き物を相手にしているみたいだ、と笑います。

白雪のように美しいタネ。上質な素材であるがゆえにとてもデリケートで、その扱いは難しい
白雪のように美しいタネ。上質な素材であるがゆえにとてもデリケートで、その扱いは難しい

この間、奥の厨房では、スタッフのさおりさんがゴボウをカットしていました。さおりさんは、もともと“近所の女の子”。
2代目が鳴らす“練り天ぷらづくりの音”を聞いて育ったといいます。ふたりは岬町生まれの岬町育ち。この街が大好きなふたりが、小さな灯を消さぬよう日々奮闘しています。

北海道産や宮崎産のごぼうを使用。まるまると太った立派なごぼうを均等にカットするさおりさん
北海道産や宮崎産のごぼうを使用。まるまると太った立派なごぼうを均等にカットするさおりさん

20年選手の黄色い洗面器は穴が開き、いい塩梅で活躍しています。攪拌担当だったお母様のお気に入りの洗面器です。
「持ちやすさ抜群。この洗面器じゃないとだめ」らしいです(笑)。

「ごぼ天」と「小天」では、食感を変えているため、先に「ごぼ天」用のタネを取り出し、成形し油で揚げていきます。「ごぼ天」は、ごぼうの歯応えにあわせて少し硬めとなるように。「小天」は、それよりもふんわりやわらかな食感となるように。

ここで、年季の入った山崎工機のオリジナルフライヤーの出番です。
部品の替えはなく、寄り添ってくれる機械に日々「ありがとう」と感謝を伝えながら揚げているそうです。
すると、時々「鳴き声」をあげる機械に、「黙って!」と言うと鳴きやんでくれるようになったのだとか。
この製造工場にあるすべてのモノが大切な相棒。伸子さんの語り口は、その愛にあふれています。

創業当時から使用されていた秤(はかり)は、自立不能で棚に寄りかかりながらその作業を見つめています
創業当時から使用されていた秤(はかり)は、自立不能で棚に寄りかかりながらその作業を見つめています

一瞬のことで、目の前で何がおこなわれているのかわかりませんでした。

「ごぼ天」を成形し、揚げる速度が 神業レベルです。修業時代を含めて7年、多くを語らない父の背中をみて習得した職人技が光ります。

2代目のお父様 “特製の木の縁(へり)”がいい感じにすり減っています。ここでカンカンと音を鳴らし、タネを油に放り込んでいました。
お父様は引退間際に肺の病気を患っていたそうで、病魔に冒されながらも酸素吸入器を携え、この木の縁でタネを揚げ続けました。
病に屈せず伝統を守り抜こうという強い意志の痕跡が、ここに刻まれています。

ですが、伸子さんはこの縁を使用しません。その理由は、木のクズが油に落ちる様子を見ていたから。それは、思春期の伸子さんにとって、ちょっと嫌な光景でした。

「ダイレクトにいく」のが伸子さん流。
伝統を守りつつ自分なりのやり方を模索し、より衛生的な方法へとブラッシュアップしました。

クルクルと回転しながら、まんべんなく熱を浴び進んでゆく「ごぼ天」。
タネの状態によっては、破裂してしまうものもあり、ドキドキ・ハラハラの危険を伴う作業です。

ゴールで待ち構えていたのは、さおりさんでした。揚がりきっていない「ごぼ天」をチェックし、しっかり油に浸しながら色合いを調整していきます。
手づくりの製品は、見た目のいびつさや、不揃いさは味わいのひとつ。ですが、この味を愛してくれている人の味覚だけは裏切らないようにと、日々ふたりで鍛錬を重ねてきました。

伸子さんは、さおりさんのことを「重要な役割を担ってくれている人。彼女の代わりはいない」といい、感覚とスピードが命の現場で、阿吽(あうん)の呼吸で進められるありがたみをかみしめます。

いよいよ最終工程の「小天」づくりです。
のこりのすり身に水を加えて、やわらかいタネになるよう調整していきます。

4世代にわたり愛される「小天」。
そのふわふわ食感は唯一無二のもの。
ここで水の量を間違えると、そのタネはもう使えません。注意深く、慎重に水加減を調整していきます。

「小天」は、同店の看板商品のため、タネの状態は詳しくご紹介することはできませんが、「水を入れて攪拌し、まな板に取り出しチェックする」この作業を7回繰り返し、完成までトータルで3時間を費やしました。

平常時は、午前10時頃までに製造作業を終え、その後、納品先へ配達に向かいます。

「小天」は、形状が小さいため、油の温度を下げて揚げていく
「小天」は、形状が小さいため、油の温度を下げて揚げていく

「日々、試行錯誤の繰り返し。機械で作れば安定するかもしれませんが、毎日が同じだとつまらないし、それでは心がこもらない。この『練り天ぷら』は、わたしの手でしか表現できない特別なものなんです」

伝統製法が生み出す唯一無二の味

熱々の揚げたてをいただきましたが、65年の歴史をもつ伝統製法が生み出す唯一無二の味に、深く感動しました。

3代にわたって守られてきたその味は、まるでホットケーキのバターとシロップが染みた「あの一番美味しい部分」のような甘くて優しい味わいです。そして、口の中で雲が広がっていくようなふわふわとした感覚は、今まで感じたことがない練り天ぷらの食感です。

「冷めると一段と美味しくなる」と言われ、冷めた「小天」もいただきましたが、旨味がギュッと熟成されて頼もしい姿に変身していました。どちらも唯一無二の練り天ぷらです。

「ごぼ天」は、ごぼうのシャキシャキ感と自然豊かな風味が素晴らしく美味しい。
逆に新しい「ワンハンドフード」として、その地位を確立していただきたいと思いました。

揚げたての練り天ぷらは、工場が稼働している時間帯(10時まで)にお越しいただくと買い求めることができます。
偶然の産物でもある「はしっこクリスピー」は、揚げたてに出合えた人だけの特権です。

*月・木定休日。不定休もあるため、揚げたてを希望される方は、前日までにインスタグラムのDMへお問い合わせください。

幻の天ぷら

高校を卒業後、店の手伝いに専念していた伸子さんは、結婚を機に一度は実家を離れましたが31歳で離婚。看護師の勉強をしながら再び家業の手伝いをはじめます。伝統の味を守りたいと決断したのは、13年前の“ある出来事”がきっかけでした。入退院を繰り返すお父様の代わりに店の手伝いをしていた伸子さんは、ある日、ご自身が働いていた岬町の病院に練り天ぷらの差し入れをします。すると、和歌山から来ていた同僚が「この味知ってる! 幻の天ぷらや!」と声をあげたといいます。

中塩路の「幻の天ぷら」各 398円(税別) *販売先により価格変動あり
中塩路の「幻の天ぷら」各 398円(税別) *販売先により価格変動あり

この時期は工場が稼働していない日も多く、出荷量も落ちていたため、同商品が手に入りにくい状況でした。その言葉を受け、「父が作れなくなったら岬町で唯一の『練り天ぷら工場』の伝統と味が途絶えてしまう。私が何とかしなければ」と一念発起。その後、ご両親が病で相次いで倒れたのを機に看護師を辞め、練り天ぷらづくりに専念します。
そして、2020年5月、社長に就任し、屋号を「中塩路の天ぷら」に変更。それは、地域に根差した練り天ぷら屋として、新たなスタートを切る決意の表れでした。

「最近、やっと完成したんです」と嬉しそうに見せてくれた看板は、印刷物をテープでとめただけのものだった
「最近、やっと完成したんです」と嬉しそうに見せてくれた看板は、印刷物をテープでとめただけのものだった

ところが、継承を決意した日に多額の負債が発覚。そのことが、その後の伸子さんの人生に大きな影を落とします。

「父が他界してからは、地獄のような日々でした」

コロナ禍に外出自粛に関する公式発表がなかったこの辺りの地域では、道の駅(卸先)の売り上げが意外にも好調で、来る日も来る日も練り天ぷらづくりに追われたといいます。
週6日の長時間労働と睡眠不足が続き、心身ともに限界に近い状態でした。一人娘との時間も、車の中で過ごしたわずかな時間しか思い出せない、と当時を振り返り目に涙を浮かべます。

その疲労に追い打ちをかけるように、ウクライナ戦争による供給網の混乱によって、イトヨリやスケソウダラのすり身の輸入価格が大幅にアップし、売れば売るほどマイナスが出てしまう状況が襲いかかります。機械の故障も続き、修理費もかさむ中、一度は品質を落とす決意をするも、灰色みを帯びたタネを前に愕然とし、それを断念。品質を落とすと、形が崩れたり、揚げる工程で破裂したりと、結果的には歩留(ぶど)まりが悪くなり、諦めのような、覚悟のような感情が生まれたといいます。

そんな伸子さんを支えたのが、お客様の声でした。

「この天ぷらが食卓に並ぶ日は、たとえ家族がケンカしていても自然と笑顔になる。幸せの天ぷらですね」

「おいしい。ありがとう。元気が出る天ぷらですね」

「一度食べたら忘れられない味」

儲けのことだけを考えていたら、この事業は続かなかった、と伸子さんは話します。

65年の伝統を守る努力と決意

「中塩路の天ぷら」製造工場   おんぼろにも程がある、と笑う伸子さん。でもこの工場が愛おしい、と話す
「中塩路の天ぷら」製造工場 おんぼろにも程がある、と笑う伸子さん。でもこの工場が愛おしい、と話す

みさき公園のイルカなどにエサを提供する仕事もしていたお父様は、販路開拓にあまり積極的ではありませんでした。30店舗ほどあった納品先の小売店も高齢化による閉店が相次ぎ、川仁商店(2代目の屋号)の売上は低迷していました。その様な厳しい状況下でも、生まれ育った岬町を深く愛し、誇りに思っていたお父様は、古い歴史をもつ街で唯一の「練り天ぷら工場」を守るために、ほとんど休まずに仕事を続けたといいます。病に倒れ、亡くなる瞬間まで、その情熱は変わりませんでした。

伸子さんの知る限り、この街で昔から操業している練り天ぷら屋は一軒のみ。

かつて数十軒もあった和歌山市周辺の練り天ぷら屋は、昔ながらの慣習の変化と深刻な後継者問題により、徐々にその姿を消していきました。

伸子さんは継承後、精力的に販路開拓に力を注ぎます。

さまざまな場所に出向き、練り天ぷらを試食してもらい、伝統製法による手づくりの美味しさを伝え続けました。その努力が実り、今では伸子さんが開拓した7店舗を含む15店舗に商品を卸し、さらに、地元のマルシェやお祭り、子ども食堂(寄贈)などにも、その味を届けています。

「中塩路の天ぷら」取り扱い店舗

・産直市場よってって 道の駅みさき店  

・産直市場よってって 泉佐野店 

・産直市場よってって 孤島店 

・産直市場よってって 貴志川店 

・ひろしげ珈琲倶楽部(淡輪) 

・JA大阪泉州 淡輪支店  

・浜のおばあちゃん家(岬町) 

・暮らしのファッションサム(深日)  

・内田商店(七曲市場内)

・長堀バルアンド(長堀)

・大阪産料理 空(泉佐野・難波)

・創作居酒屋 山と海(羽倉崎)  

・新谷商店(鳥取ノ荘)

・食彩酒倶楽部 松下(尾崎)       

・フードストア根来(尾崎)

商品は、昼頃より全店舗でお買い求めいただけます

また、地元淡輪の「カネショウ丸」さん のご協力のもと、こだわりの 泉だこ と ちりめん を使ったコラボ商品も不定期で販売し、地域活性化にも貢献されています。

コリコリ食感とタコの風味が“酒の肴”にぴったり
コリコリ食感とタコの風味が“酒の肴”にぴったり

グローバル化が進む現代において失われつつある地域の個性を守るために、古くから受け継がれてきたものの灯を消さぬよう伸子さんは日々奮闘しています。

中塩路 伸子さん(左)とスタッフのさおりさん(右)
中塩路 伸子さん(左)とスタッフのさおりさん(右)

伝統は、それぞれの地域や社会が長い年月をかけて育んできた独自の文化であり、多様な価値観を伝え継ぐもの。練り天ぷらづくりの職人の知恵と技術が、世代を超えてここに受け継がれています。

手づくりの品は、大量生産品にはない温かみと味わいがあります。
あらためてその価値を、じっくりと見つめ直してみませんか?
何より、人の手でつくられたものは、本当に美味しい!

「若い頃、家業が『天ぷら屋』だと言うと、バカにされたように笑われたんです。それが本当に嫌で、恥ずかしくて。でも、今は違います。心からこの仕事と岬町を誇りに思っています」

【基本情報】

店名:「中塩路の天ぷら」
公式インスタグラム(外部リンク)
住所:大阪府泉南郡岬町淡輪4241(Googleマップ参照)
営業時間:4:00~10:00
定休日:月曜・木曜/*不定休あり
駐車場:あり(淡輪漁港内の駐車場をご利用ください)
取材協力 「中塩路の天ぷら」代表 中塩路 伸子 様
*記事内容は取材当時のものです。

「小天:特許庁商標登録済/大阪・地域代表商品認定/ふるさと納税返礼品」

この記事を書いた人

旅する日々の記憶と記録。matka08
ライター

旅する日々の記憶と記録。matka08

大阪・泉州在住。
7年の広告制作ディレクションを経て、2022年から4年間、Yahoo!ニュースにて地域記事を執筆。
計8回の最優秀記事賞(MVA)を受賞。
2026年春、同メディアの筆を置き、現在はウェブメディア等での執筆を続けながら、自身のマガジン『Blank.』の創刊に向けて、日々奮闘中。
フィルムカメラとノートが相棒。

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