【千葉市】小さなパン屋、モワティエさん
WRITTEN BY 格さん
館山市に本社を置く有限会社房州日日新聞社(以下房日新聞)は、1948年に創刊され「房日(ぼうにち)新聞」の愛称で親しまれています。館山市、南房総市、鴨川市、鋸南(きょなん)町の3市1町のローカル情報を届けている新聞で、私もフリーのライターとして記事を書かせてもらうことがあります。

最近、房日新聞の紙面に少し変化が見られ、今まで以上に新しい情報を得られる記事が増えたように思います。昨年、編集長に就任し変化を起こしている斎藤大宙(だいちゅう)さんに話をうかがいました。

新卒で株式会社朝日新聞社に入社し、35年。2021年5月まで、名古屋本社報道センターや東京本社スポーツ部でデスクを務めたり、地方(三重県)の総局長や東京本社で記者教育を担当する部長を務めたりしていたという斎藤さん。いったいどのような経緯で房日新聞の編集長になったのか聞いてみると、「たまたま房日新聞で記者の募集をしていたから」という返事が。てっきり編集長として入社したのかと思っていたので、記者として入 社したという返答を聞いて驚きました。
斎藤さん「57歳のとき、会社で早期退職を募っていたので退職して、私立大学に転職したのですが、もう一回記者をやりたいと思って。たまたま記者の募集をしていたのがここでした」
斎藤さんにとってどこで働くかは問題ではなく、50代後半という年齢で、書きたいという思いを形にできる場所が、房日新聞だったということです。「日本語が通じれば、場所は全く問題にならない」と言いますが、振り返ってみると館山とは縁があったそうです。
2009年から浦安市に家を構え、家族4人で暮らしていた斎藤さん。千葉県民歴は10年あるのに千葉のことを知らないので、「千葉の先っちょに行ってみよう」と、5~6年前に夫婦2人で野島埼灯(のじまさきとうだい)や、城山公園を訪れたそうです。「数年後にここで仕事をするとは、思ってもいなかった」と、当時を振り返りました。
仕事のため単身で館山に移り住んだ斎藤さんは、2024年3月に房日新聞へ入社し、記者としての仕事を始めました。当初は、ネタ探しのためにフリーペーパーやチラシを片っぱしからチェックし、気になったところに電話をかけて、実際に会いに行っていたそうです。

斎藤さん「石も数を投げればどこかに当たる。人脈が増えれば、ボールを投げてきてくれるようになる。それが本来の記者の仕事の仕方ですが、初めは戸惑いました」
知り合いもいない新しい土地で、向こうからボールを投げてきてくれるようになるには、それなりに大変だったのではないかと想像します。書きたいという想いを行動に移していた斎藤さんですが、いつ、どのタイミングで編集長になったのでしょうか。
実は、2024年の7月に房日新聞の社長が新しくなりました。そして、新社長に「8月から編集長をやってほしい」と、突然言われたそうです。
編集長の仕事は記者の経験がないと難しいものですが、斎藤さんには十分なベースとスキルがありました。「記者たちが持ってきた記事を最初に読んで、その記事が商品になるか、どう仕立てて商品にするかを考えるのが編集長の仕事です」と話しました。
斎藤さんが編集長になってまず取り組んだのは、見出しのたて方を変えること。以前は縦見出しが多かったのですが、現在トップの見出しや柔らかい話題の記事は横見出しを多用。また、リード部分(導入文)が独立しないまま本文と一体化した「流し組み」を極力 やめて、リードを独立させて記事の内容を分かりやすくしました。

さらに、一面に掲載した記事の続きや関連記事を他の面に載せる「コンティニュー方式」も導入。構図が良い写真は、思い切って大きく掲載して読者にアピール。長年、朝日新聞の紙面作りに関わってきた斎藤さんは、「房日流をよく知らないから、朝日流(全国紙のやり方)になるけれど、これしか知らないので」と言いながらも、読者にとって親切で分かりやすい紙面作りを心がけています。
斎藤さん「新聞は、『人は何を考え、何をしているのか』を『人』に伝えるアイテムです。『人』を書かないと人には響きませんし、人を感動させることもできません。そこが『広報誌』との違いです。新聞は、記事で人をどう描くかが大事。イベントの記事なら行 事の報告で終わるのではなく、アクションを起こした人が何を考えてそのイベントを企画したのか、何をやろうとしているのか、参加した人がどんなことを感じたのか、心の中をすくい取って伝えることが大切です」
全国紙だと読んでいる読者の顔まではなかなか想像できませんが、房日新聞のようなローカル紙は読者に近くて、読者の顔が浮かぶのが記者として仕事をする魅力です。
斎藤さん「読者の顔を意識して、地域に近い距離感でニュースを伝えられるのが房日のいいところであり、役割です。地域の掲示板のようなニーズに応えるのもその一つです。読者に近いのが最大の魅力であり、存在意義だと思います。全国紙はローカル紙みたいにはできない。ローカル紙の方が本来の新聞の役割を果たせる気がします」

新聞社に入社すると、まず地方の総局に配属され、警察担当を最低1年、その後は県庁や市役所などを担当して経験を積むのが一般的なのだそうです。警察担当では、まず警察官に顔を覚えてもらうところからはじめるのだとか。話を聞いているだけでも辛そうで、「辞めたいと思うことはなかったんですか?」と思わず聞いてしまいました。
斎藤さん「何べんも辞めたいと思ったけど、一本特ダネを書くと大きなやりがいを感じるし、情報をくれた人には認められた感があって。いい原稿が書けると、『ありがとう』って反応があって、地域の仲間に入れてもらえたみたいに感じられて、それが醍醐味です」
3市1町で人口約12万人の人たちとディープにつながって、日々新たな人と絡んで成長しながら幅を広げ、人を書くのが斎藤さん流です。館山は東京まで車で約90分と近いので、新宿や渋谷の話がふつうに通じます。編集部員の大半は南房総エリア出身者で、他は岩手出身の斎藤さん、福井出身と沖縄出身の記者がそれぞれ1名。
斎藤さん「3市1町のエリアには個性的で面白い人がたくさんいて、ネタには困りません。記者には仕事がしやすく、楽しい地域だと思います」
まさにおっしゃる通り。このエリアには移住者や二拠点居住者だけでなく、地元の人もみなさんユニークで何かにつけて取材したくなる人たちがたくさんいるので、ライターにとってもネタの宝庫といえる地域です。
編集長になって取材に出る時間は減ったようですが、そんな中でも斎藤さんがどんな人を取材するのか楽しみですし、記者たちが持ってきた記事をどう仕立てて、どんな紙面作りをしていくのか、今後の房日新聞に期待を寄せます。

房日新聞のweb版では、紙面の記事に加え、web限定の記事も配信されています。会員登録なしで読める記事もあるので、二拠点生活や移住、仕事などで館山市、南房総市、鴨川市、鋸南町の情報を必要としている方は、一度チェックしてみるといいでしょう。南房総のユニークな人たちと、房日新聞を通して出会えるかもしれませんよ。
取材協力:有限会社房州日日新聞社
房日新聞webサイト
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バックパッカーで世界を旅して漂着したのは、千葉県房総半島の安房(あわ)。ボロボロ古民家を仲間と改修しながら、犬猫ヤギと暮らしはじめる。安房の自然にどっぷり浸かりながら、アウトドアや暮らしを堪能しつつ、魅力ある人や場所を紹介している。
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