【綾町・国富町】バスにのってGO!GO!GO! 車では見えない町・畑・古墳の景色
WRITTEN BY omi
《本庄古墳群》
(25)39号墳 (丸山塚)
ここの墳丘には、かつて氏神堂があったといいます。しかし現在、その姿はありません。代わりに残るのは崩れた瓦礫。そして斜面には大きな窪み。
39号墳も他の古墳同様、長い年月のなかで自然に、あるいは人の手によって変えられてきました。
十日町の住宅街にある39号墳は、長さ約50m、高さ約7mくらいの前方後円墳です。1934年に国指定されたときは、まだ原型がある程度保たれていました。それが2003年の調査時には、かなり削り取られていたといいます。

東側の後円部。この古墳は、全体がなだらかに波打つような斜面となっているのが特徴です。

下っている部分から前方部になるのでしょうか。前方部は墓地や住宅に入り込んでいるために、撮影はできませんでした。

墳丘からみると、前方部は雑木林になっていて、入ることは難しそうです。

墳丘から見える本庄の街並み。

古墳には、よく窪みがあります。それには以下のような理由が考えられます。
など。
この39号墳にも大きな窪みがいくつかあります。ただ、CT撮影などで古墳内部の調査が行われていないために、原因は分かっていません。防空壕としては、実際に13号墳 (観音山塚)が使用されていたので、39号墳も可能性はありますが。

火山の噴火口のような窪みですね。本庄古墳群の中でも、ここまで大きなものは、あまり見かけません。知名度が上がれば、本格的に調査してもらえるのでしょうが……

後円部に氏神堂があったといわれていますが、行ってみると……

氏神堂の姿はなく、代わりに崩れた石材が残っているだけでした。よく見るとコンクリートの瓦礫もあります。本庄古墳群の多くの祠が江戸時代の建立であることを考えると、石や木でできていたはずです。もしこの瓦礫が氏神堂の痕跡だとすれば、近代以降に建て替えられた可能性も考えられます。

神様を祀る場所が、なぜこのような姿になったのでしょう。本庄古墳群では、工事の際に墳丘が削られた例がたくさんあります。今回もその影響なのでしょうか。残念ながら資料が残っていません。
少し離れたところにも瓦礫はありました。石碑の土台でしょうか?

本当に何があったのでしょうね。古墳の横には祠があるので、もしかしたらここに移転したのかもしれません。

コンクリートの皿に乗ったチャーハンのような形で、窪みがあり、上には瓦礫。住宅街にある39号墳。

よく見ると、本庄古墳群の中でも非常に一癖ある古墳だといえるでしょう。
取材協力:中野正裕様(くにとみ史跡・文化ガイドの会会長)
本庄古墳群39号墳
住所:〒880-1101 宮崎県東諸県郡国富町本庄(地図)
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omi
古墳好きの道産子。札幌で生まれ育ち、新宿、ニューヨークなど喧騒の場所を転々とする。2017年12月、宮崎県綾町に移住。2024年から2年間、yahoo!地域クリエイターとして宮崎県綾町、国富町、西都市情報を執筆。2024年9月、古墳記事でYahoo!MVA賞受賞。
仕事の傍らバンド、タップダンス、パントマイムの舞台活動を行っていたが、現在は活動休止中。
詳しいプロフィールはnoteにて。