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宮崎県 -国富町

【国富町】テトリスのような古墳 住宅地で存在感を放つ41号墳

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omi

《本庄古墳群》

(26)41号墳 (轡塚(くつわづか))

まずは下の航空写真をご覧ください。

引用:Google map
引用:Google map

一見するとただの住宅街ですが、中央に写っているのが41号墳です。航空写真では分かりにくいですが、41号墳の範囲は下図のようになります。

41号墳の現況図。黄色の範囲が古墳の残存部分を示しています
41号墳の現況図。黄色の範囲が古墳の残存部分を示しています

よく見ると、墳丘が直角に折れ曲がったような不思議な形をしています。

テトリスのような41号墳

この41号墳は、民家に囲まれるようにしてひっそりと残る古墳です。長い年月のあいだに、さまざまな事情で削られ、現在の独特な姿になったのでしょう。

もともとは前方後円墳

旧道沿いの民家のあいだに挟まれるように立つ41号墳。まるで家と家のすき間に盛られた小さな山のようです。

墳丘に建っている小屋のような建物は、地蔵堂の祠です。祠に続く斜面が石やコンクリートが敷かれて、古墳らしさは全くありません。

しかしこの古墳、もともと前方後円墳だったとされています。資料によると、

  • 祠のある部分が後円部
  • 後円部の半分は欠落している
  • 現存の北辺の付近が後円部の中心と考えられる

といった特徴が挙げられています。

後円部は高さ約3m、直径はおよそ15mと推定され、地蔵堂はその上に建っています。これらを踏まえると、本来の古墳の形と現在の姿の関係は、下図のように推定できます。 なお、あくまでイメージ図であり、実際の規模は考慮していません。

41号墳の推定図。赤が本来の前方後円墳、緑が現在残る部分
41号墳の推定図。赤が本来の前方後円墳、緑が現在残る部分

では、41号墳の上へ向かってみましょう。実際には地蔵堂へ上がる形になります。

ちょっと不思議な地蔵堂の造り

地蔵堂は、狭い墳丘のスペースぎりぎりの大きさで建てられています。

一瞬、格子が折れて見え、長い間放置されているのかと思いました。しかしよく見ると、格子戸から屋根に向かって斜めに柱が伸びています。これが格子が折れたように見えたのです。屋根を補強する柱でしょうか。

側面は板壁ではなく、柱と横材だけのつくりになっており、非常にユニークな造りです。古墳の高さは3m程なので、このような簡素なつくりだと台風の時など心配になります。

しかし長い年月ここに建ち続けているということは、しっかりとした工夫が施されているのでしょう。

伸びている前方部

地蔵堂の左側(西側)には、横に細長く伸びる墳丘が見えます。

本来の前方部のように平らにまっすぐ伸びる形ではなく、低く削られ、横方向にゆるくふくらむような形になっています。

下は、地蔵堂の横から撮った写真です。ここが前方部だと気づく人はまずいないでしょう。

年月を感じさせる石の散らばり

地蔵堂へ続く斜面には、石やコンクリートが敷かれています。 そのためか、長い年月のあいだに砕けた石や小さな瓦礫がところどころに残っています。

古代からの壮大な年月というより、近年に積み重なった時間を感じます。

墳丘から見た風景
墳丘から見た風景

古墳の前面に立つ石碑のまわりにも、同じように瓦礫が散らばっています。 この石碑が何を示すものなのかは分かりませんでした。

住宅地に放つ存在感

テトリスのような形の41号墳。そのユニークな形は地上からはわかりません。しかし、古墳のふもとの瓦礫、地蔵堂の存在感はこの古墳ならではのものです。

本庄古墳群の57基は、どれもオンリーワンの古墳です。

取材協力:中野正裕様(くにとみ史跡・文化ガイドの会会長)

41号墳
住所:〒880-1101 宮崎県東諸県郡国富町本庄6907(地図

この記事を書いた人

omi
パフォーマー

omi

古墳好きの道産子。札幌で生まれ育ち、新宿、ニューヨークなど喧騒の場所を転々とする。2017年12月、宮崎県綾町に移住。2024年から2年間、yahoo!地域クリエイターとして宮崎県綾町、国富町、西都市情報を執筆。2024年9月、古墳記事でYahoo!MVA賞受賞。

仕事の傍らバンド、タップダンス、パントマイムの舞台活動を行っていたが、現在は活動休止中。
詳しいプロフィールはnoteにて。

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