【横浜市】の歴史を語る上で欠かせない“美しい博物館”のようなクラシックホテル「ホテルニューグランド」
WRITTEN BY 佐原ねお
画像は、紀あささんが写真集「伝説の大道芸人 ギリヤーク尼ケ崎への手紙」を出版した頃に撮影されたもの。
以前の記事で、横浜市と北海道函館市の二拠点生活を送り、写真家でフォトライターでもある紀(きの)あささんが手回しオルガン奏者としてパフォーマンスをする一面をご紹介しました。横浜の魅力を発信するフォトライターでもあるあささんは、函館の魅力も発信し「はこだて観光大使」としても活動されます。
手回しオルガンやフォトライターとしての仕事で函館にも拠点を持つあささんですが、函館に行く理由はそれだけではありません。

あささんが手回しオルガンの大道芸人として活動する時には、時に淡い色をしたピエロのような衣装を着たり、冬には真っ赤なサンタクロースの衣装を着たりと、オルガンの優しい音色に似合う、明るい色が多い印象です。
でも、函館出身のギリヤーク尼ヶ崎さんとパフォーマンスをする時、あささんは黒頭巾と黒装束をまとった「黒衣(くろご)」となります。

ギリヤーク尼ヶ崎さんという大道芸人をご存じでしょうか。津軽三味線の曲に合わせて情熱的な踊りを披露し、踊りのために歯を全部抜いてしまったという逸話がある方なのですが、実は1回の公演で78万円という投げ銭伝説をなしたこともある人です。
近年のギリヤークさんのパフォーマンスを見たことがある人は、おそらくあささんのことも見かけたことがあるはず。

ギリヤークさんは95歳にして現役。現在、パーキンソン病で心臓ペースメーカーをつけながら車椅子姿で各地の公演を行っています。いまは1人で歩けず、立っているだけで精一杯。着替えも自分でできないようなギリヤークさんを支えているのが、あささんです。
パフォーマンス中、あささんは立つことが困難なギリヤークさんを車椅子に乗せて走り回ります。文字通り、手となり足となってギリヤークさんの表現を支え続けているのです。

声を張り上げ、体を震わせ、命を削るように踊るギリヤークさん。筆者はあささんが支えるギリヤークさんの姿しか知りませんが、年齢や病を超えて「生きること」そのものを観る人に問いかけているようにも見えます。そしてそのそばには、いつもあささんの姿があるのです。
ギリヤークさんとあささんの出会いは、あささんが本格的に函館でパフォーマンスを始めた2012年のこと。「函館で大道芸をするなら、どうしてもギリヤークさんに挨拶をしておきたい」と夏公演のタイミングでわざわざ足を運んだのです。
それまでパントマイムなどをしていたあささんは、大道芸人仲間からギリヤークさんの存在を聞いていて、写真を撮影していたこともありました。でも、面と向かって話をしたのはこれが初めて。

「そこから認識してもらうにはだいぶ時間がかかった」ということなのですが、函館での出会いをきっかけに交流も増え、震災のあったところを一緒に旅をしながら公演をし、2015年にはあささんの撮影によるギリヤークさんの写真集が出版されて、関係性が深まります。

その年から、ギリヤークさんの体が弱り、思うように動けなくなってきて、各地での公演が中止になっていくことも増えました。2016年の秋。毎年続けていた新宿公演を落としてしまったら、もう大道芸人として再起できないかも――そう感じたあささんは、車椅子を押してパフォーマンスを支えるために、自ら黒衣役となることを決意しました。
実はあささん、ギリヤークさんのドキュメンタリー映画「魂の踊り」に出演していて、制作にも関わっています。もはやギリヤークさんの人生を語るうえで、あささん抜きでは語れない存在にまでなりました。

ギリヤークさんと一緒にパフォーマンスをするようになって、今年の秋で10周年を迎えます。「100歳まで踊り続けたい」というギリヤークさんの目標まであと5年。「それまで元気にやっていきたい」と語るあささんは、「ギリヤークさんがギネス記録になるのか、一度調べてみたい」と笑顔で話してくれました。
横浜での次回公演は、5月16日、六角橋商店街ヤミ市で開催。六角橋では毎年5月第三土曜日の公演が恒例とのことなので、あと5年のうちに、あささんと一緒に横浜で公演が行われる日ももう何回かあるかもしれません。
歳を重ねて、形を変えてもなおパフォーマンスを続けるギリヤークさんの姿は、多くの人の心に静かな勇気を届けてくれそうです。

函館と横浜の二拠点生活。撮影者であり被写体、パフォーマーであり黒衣。横浜では「ヨコハマ経済新聞」のライターとしてご活躍されるなど、多面的な活動をするあささんは、今回はライターとしての顔を横に置き、インタビューを受ける側になっていただきました。
表現者、記録者、支援者。様々な顔を持つあささんは、二拠点の移動もあって、それぞれの役割のバランスを保つのが難しそうでありながら、「横浜から羽田空港まではアクセスしやすいし、車で長時間県外へ行くより実は楽」と笑いながら変化の多い生活を楽しんでいる様子でした。
もちろん住んでいる場所にもよりますが、飛行機でも新幹線でもアクセスしやすい横浜は、二拠点生活のひとつの拠点として過ごしやすい街なのかもしれません。
横浜以外の土地でなにかを始めたい、集中的に取り組んでみたい、この人の近くにいたいと思った時、わざわざ引っ越しをしなくても、二拠点生活という選択も人によっては合っているのかもしれないと、今回あささんの話を紹介させてもらいました。

今回のお話はあささんの多彩な活動のうちのひとつ。「手回しオルガン奏者」としてのあささんのお話に興味を持たれた方は、記事最後の関連記事でご覧ください。
記事で掲載した写真は、ご本人からの提供画像です。ご協力いただき、ありがとうございました。
*こちらの記事は、2026年3月24日にYahoo!ニュースにも掲載された内容です。
紀あささん
紀あささんの活動についての詳細は、こちらのサイトをご覧ください。
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